2018年1月3日水曜日

私の。

12/31は新宿JAMの閉店ライブでした。この記事はEGGESTのボーカルのくうが書く。みんなに読んで欲しいブログではなくて、私自身のJAMへの愛を文で形にしたいだけだし、それをJAMの閉店に立ち会った人が読んで2017/12/31を深く記憶と心に残してくれるならいいな。JAMとそのJAMで知り合った人たちのことを書く。

正直、最期のJAMのライブにいなかった人が「そういえばJAM閉店だったってね。お疲れ様」みたいなツイートをしているのを見ると、てめえ最期を見てないのによく言えたなと虫酸が走る。そういえばじゃないんだよ、そんな薄っぺらいところにJAMを置いてた人間がすこしの寂しさだけで言うな。愛を比べるのは違うのかもしれないけど、違う違わないとかどーでもいい、ただ気にくわない、全然ムカつく、こっちは、こっちはね、JAMがなくなってしまうのが本当に寂しいの。てめえのそのツイートは最期までJAMを愛してあの空間にいた人たち全員に対しての無礼講だしすこしでも寂しいと思ったならJAMに顔を出せばよかったのに。どれだけJAMから足が遠のいていた人でも、以前JAMでみたバンドのラストライブを目の当たりにしたら誰だってJAMへの愛が溢れて止まらなかったと思う。嘘じゃない。大口でもない。


EGGESTは高校1年の夏、つまり2013年からお世話になり始めた。部活の延長線。
初めてブッキングの超矢野さんと会うとき、先輩から「超矢野さんって人、いかつめで怖いけどちゃんと大きな声で礼儀正しく挨拶してね。厳しい人だから」と言われていて、緊張しながら挨拶をしたと思う。5年先まで、こんなにも面倒を見てもらえるなんてその頃は思っていなかった。打ち上げの席で、「年下が真っ先に水を全員分配るんだよ!」とか「乾杯の時は待ってないで年下がみんなに乾杯をしに行くんだよ!」とか、無知な私たちにいつも耳打ちでいろんなことを教えてくれた。耳打ちで、「くうさん、どーなの、好きな人いないの?」とかも毎回聞かれた、EGGESTの恋愛事情詳しめ、でも私は聞かれるの嫌いだった。笑。
高2の時に、メンバー内で決裂しちゃってベースボーカルが抜けるってなった時も、矢野さんは高校生の揉め事にちゃんと心配してくれていっぱい考えてくれて、編成が変わって私がギターボーカルになってベースがあきちゃんになってからも、3マンだったりワンマンだったり、企画だったり、いつもいつも私たちに「やらない!?やろうよ!」誘ってくれて。JAMはおじさんが多かったりで、そんな中でも高校生を集めてヤノフェスだったりヤノさんのブッキングに出て同世代の仲間ができたことは人生の中でとてつもなく大きな部分なので、最高の仲間たちに引き合わせてもらえたこと、感謝でいっぱい。

ボーカルになっての初ライブもJAMだった。私をボーカルにしてくれたのは、JAM。

あるイベント、正確には覚えていない(まちぶせのノノさんも、JAMでライブをしすぎて何にでたとかどのライブがとか覚えていないとMCで言っていた。今同感した。)けど、高校生の時に「一日」というオルタナよりの、ジャンル不明なオリジナル曲をライブでやった時に、「EGGESTおもしれえよ!!!そんな面白い曲やっててそんな演奏下手くそなバンド他にいねえよ!!」と言ってくれたのは酔っ払って顔が真っ赤になってたTOKYO SAPIENSのまさひこさんで、褒められてんだかけなされてんだか・・・でもすごく印象的な言葉でとっても嬉しかったって話は、私たちの会話の中で結構繰り返されている。JAMはステージが低いし冊がないから、演奏終わって片付けている時に観ててくれた大人たちは感想を言いにきてくれて、フロアに降りるまでの時間とかないからマジでライブ直後に思った率直な感想を聞けて、超いいライブハウスじゃん。なんで無くなるの、待ってよ。

WINDOWZ(たまこはスペル間違えて野口さんに怒られてた)のたくまさんにも、まさひこさん同様、演奏下手くそすぎるってめっちゃ言われたけど面白いってやっぱり褒めてくれて、ゆとぱんさんは前にEGGESTは音楽をたのしそうにやるって褒めてくれてくれて、なんなんだなんなんだ、JAMの大人はエジェストが大好きなのか?!?!
昨日、終演後にゆとぱんさんにエジェスト〜〜って頭くしゃくしゃにされて、私はなぜか泣き出しそうになった。あれ〜〜私こんなにゆとぱんさんのこと好きだったっけ〜〜〜?と考えながら涙が出そうなのをこらえた。思い出せば、えげつなく下品なことを言うから高校生の時は軽く引いていたと思うんだけど、昨日、SMAPってなんの略でしょう?と振られた時に迅速かつ完璧な下品な回答をしているゆとぱんさんを見て、天才かと思った。一時期髪の毛が短くなってウーマン村本になった時は超びっくりしたけど、また長髪でひげで濃い眉のゆとぱんさんに戻っててなんだかしっくりきた。よかった。


深夜のまちぶせ、私が高校生の時に一番好きなバンドで、一曲丸々飛び跳ねて見たのはまちぶせしかない。今まで使ったことないけど、私のヒーローとかいう言葉を使うならまちぶせがそのヒーローだと思う。昨日のヱヰ十がMCで「まちぶせに憧れてJAMにではじめた」って言っていて、他にもまちぶせに憧れてるバンドマンを知って嬉しくなった。昔まちぶせにもらったパスは生徒手帳に貼ったまま大事に持ってる。あのドラムギターなで肩が好きだったんだ!という思いが強くて、体制が変わってから怖くて観れていなかったけど、昨日やっと見てやっぱりまちぶせのことが好きだったし、好きでいれてよかったと思った。最前で見ていたら、ライブ後にノノさんが「懐かしかったよ、なんかこの感じ」と言ってくれて、そういえば昔からまちぶせは最前で見てたこととか思い出して、お互い思い出に存在するってなんてあたたかいんだろうと思った。

ヱヰ十のがきをさんはめちゃくちゃお世話になった。ハードコアとかそんな聴かないけどがきをさんのバンドだからってJAMで1年前、初めて見た時は怖すぎて途中で家に帰った。暴れる大人の客が怖いしがきをさん怖いし、「おっかない」という言葉そのものだった。でも昨日のライブは、暴れる大人を輪の中心に押し返す技身につけたおかげで最後までちゃんと観れた。爆竹と天井の破片で靴はやられたけれど。笑。JAMが本当に壊れていった。ミナミさんが拳で天井をボコボコにして、最後に拳を痛がっていた光景が最高にエモいし格好良かった。そう、あのライブは格好いいけど痛かった。壊して終わり、じゃ、なくて、みんなのこころがちゃんと痛くなるものだった。シビれる。
私たちが JAMで企画する時のドリンクカウンターはがきをさんが多くて、どうしてって私たちが頼んでたフシもあって、よくわかんないけどめちゃくちゃ私たちのこと可愛がってくれる格好いい兄さんがいたら頼りにしたくなるわけで、朝まで出演者とJAMで打ち上げをしつつドリンクカウンターでがきをさんに構ってもらうのがすごく好きだった。くうちゃんくうちゃんっていつも可愛がってくれて、あんなに優しくて魅力があって自分勝手じゃない、いかつい人間他に知らない。ドリンクカウンターにがきをさんが居ないことは、JAM閉店の寂しさをぐんと助長させる。お陰でたくみくんと知り合えたことも、感謝。

 
深夜から明け方のライブ、みずすましの涙のハイボールで一気にグッとなった。みんなでもみくちゃになった。まちぶせ然り、堀さん以外メンバーが変わってしまった寂しさはあるけど、曲はずっと生きたまま。光景を思い出すと、涙腺が緩くなる。
TOKYO SAPIENS、好きなギタリストは?という質問はいつも知識が浅すぎて答えられないけど、弾いてる時に格好いいのは私の中でサピエンスのまさひこさんとハムちゃんがトップだなってライブ見ながら気づいた。ギター2本が生き生きしているリフがとても好き。弾いてる姿がエクスタシーである。触れていいかわからない、エゴで私は感想を書くけれど、最後の曲を頭からバチっと決めた、その時の演奏が一番格好良かった。ドンってきて結局涙がでた。カネタクさんと野口さんのリズム隊も耳に贅沢すぎるほどイケてた。
ペルシアンズでぶち上がって大人たちが泣くのを見て、このJAMってそれぞれのJAMなんだなって思った。バンドと青春はいつも繋がっていて、昨日はそれぞれの青春が最後に花を咲かす瞬間で溢れて居た。みんなが泣き崩れてるのを見たら心が苦しくなって、少しフロアを抜けた。痛いくらい濃すぎる空間だった。
最後、大トリのニュータウンについては、もう言葉にできない。書けない。歴史が終わる瞬間に、みんなで拳を突き上げたあの光景は、みんなのもので、みんなで一つの大事な宝物を持った気がする。個人の心にしまう、とかじゃなくてあれは、みんなで大事にしあう光景だったと思う。一生、褪せない、ものなんて、あるんだなってびっくりした。絶対に褪せない。今になってまだ涙が溢れてしょうがないんだけど、新宿JAMがホームのバンドでよかったし、出会えた人みんなに感謝です。めめさんにぎゅーってしたら余計寂しくなりました。石塚さんも本当にお疲れ様でした。本当にお世話になりました。
新宿JAM、バイバイ!


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